昭和56年04月01日 勧学祭



 御理解 第80節
 「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで…。」

 信心とは、おかげを頂く事だというふうに、おかげと直結しますと、信心の歓びがだんだん本当なものでない方へ、育ってまいります。おかげを頂いたご都合、お繰り合せ頂いた時だけが有り難いと。先ほど嶋野さんの久佐世さんが、ここで声明をしておりましたが、今度県立高校に、受かるはずのが受からなくて、私立の高校に行く事になりました。本人としても、初めて大声を上げて泣いた、と言う事を言っておりましたが、まあ残念だったと思います。
 けれどもよくよく考えると、日頃頂いておる合楽理念の事を思うと、段々是が神様の御都合というふうに申しております。私は高校受験の発表の日は朝から入学お礼が続いておりました。嶋野のお母さんも子供と同道でお礼参拝してまいりましたから、はあおかげ頂いたばいなと思うて、そしたら超特急のお神酒とそれから私には「合格御礼」と書いてあると思うたら、よくよく見たら上に「不」の字が書いてある。「不合格御礼」。まあこんな御礼も珍しいですけれども、本当に御礼でした。
 普通の時のお礼なら一級酒でよかろうけど、もう矢張り超特急でも買わなければおられないと言う様に、是はお母さんの日頃の信心が、そういう時にものを言うのでしょう。信心の喜びとはそう言う事ではないでしょうか。おかげを頂いて受からんはずのが受けかりましたのもおかげでしょうけれども、私どもの人間の思い方考え方では、どこに深い御神意、御神慮があるやら分かりません。その深い御神慮を尋ね求めさせて頂くというのが信心、一切が神愛と日頃の信心が、そういう時に現れてくる。
 神様にそのことを御礼、お届けさせて頂いておりましたら、「佐保天(サボテン)」と頂きました。「サ」というのは佐田さん、佐賀の佐ですね。これは合楽と言う事なんです。合楽の信心と言う事ですね。御結果が左に出来ました時から頂いておる御理解です。「ホ」というのは保という字なんです。「テン」いうならば天が合楽がバックである。天が必ず保証して下さる。神様の御信用と言う事で御座いましょう。勿論サボテンというのは砂漠地帯に密生する植物ですね。
 それこそ雨が十日、二十日、一ヵ月降らなくてもビクともしません。益々根を張っていくという植物なんです。私どもが目には見えないけれども、只今修行中、只今、結構な信心の修行をさせて頂いておりますと言う所から御礼が言える、喜びが湧いてくるという信心こそ、愈々お湿りは頂かなくても、お恵みは受けていないのだけれども、益々信心の根が下へ育っていっておる時、心を育てる光を育てる、喜びを育てると言う事は目に見えない心がどの様な場合であっても根を張って行く事が。
 私は育てる事だというふうに思います。折角信心をさせて頂くので御座いますから、信心の喜びが分かる。おかげの喜びは誰でも分かるけれども、おかげの喜びで人間の思うように、都合のよいようにばっかりは神様は働きなさいません。むしろそれとは反対に反対にと言う様な時が御座いますけれども、神様は願いが叶うた時、成就した時はそれは本当のおかげではない。右と願っても左、左と願っても右と言った様な互い違いになるような時こそ「神の願いが成就しておる時」と仰せられる。
 その辺の所が解る為には神様の心が分からなければいけない。神様の願いが成就しておる時であり、そして思いもかけない、夢にも思わなかったと言う様なおかげの展開となってくる。それが真のおかげいや、神様が私どもに下さろうとしておるおかげなのです。愈々合楽理念を基にした生活。そこから合楽理念に基づく実験実証が出来れる日々を頂きたい。今朝からの御理解にも申しましたように、合楽の信心言わば合楽理念というのもが、合楽以外の方達が目を付け出した。
 合楽理念こそ本当なことではなかろうか。本当の信心とは是ではなかろうかと。例えば只今まで私どもが数千年来伝わってきた、いろんな宗教が沢山御座います。そういう宗教のイメージをアップしていくだけの信心、合楽理念である。そして言うならば何かこう因縁と申しますか、厳しい人間業ではとうてい出来ないような修行でもしなければ信心の喜びに触れられないと言った様な考え方からそうではない。人間が人間らしゅう生きながら、しかも信心の心に光りを育てていく生き方があるんだ。
 真真と言うて真を追求してきた。そしてとうとう分からない所から生まれてくるのが、「真とは尽くしても尽くしても尽くし足りんのが真なりけり」と言う事になります。だからそうじゃないです。もう真とは合楽理念を本気で一事でも行じようと言う事になった時が真である。それを心をもって行う時が真心である。だから真のおかげが必ず伴うのである。合楽理念こそ真である。それなら合楽理念は難しいかと言うと、その気になれば誰でもが学べる。誰でもが実行していけれるというふうに、私が申しております。
 また事実そうです。問題はやる気があるかないか。発心するかしないかと言う事なんです。本気で信心の喜びを頂きたい。その信心の喜びには、こんなにも頂いていいだろうかというおかげが頂けるのです。だから信心を頂きたい、信心の喜びを頂きたい。愈々信心の真の喜びとは、先ほどここで発表しておりました。嶋野さんのお母さんじゃないですけれども、本とにあれだけお願いしとったけれども落ちたと。
 もうがっかり、親子でワンワン泣いたというのではなくて、成程娘は泣いた。けれども「おかげばい」と沈んでいる娘を引き立てて御礼参拝をしてきた。そこに私は信心があると思います。そこに神様は愈々「佐保天」の力、神様の保証、天が保証して下さる、幸せの保証をして下さる働きが起こってくる。例えばお湿りが御恵みがなくても、十日でも二十日でも一ヵ月でも二ヵ月でもお湿りがなくても、愈々根を張って行く様なサボテンのような信心をひとつ目指させて頂きたいと思います。
そこからその事が厳しい事、それが苦しい事ではなくて、そういう至難なと思われる様な事が、信心の道いわゆる合楽理念を行じて参りますと、その行じて行く事その事が有り難いと分かってくるのです。それこそ御礼がどの様な場合でも言える心こそが、私は信心の喜びだと思います。その喜びはあの世までも持っていけるんだ。この喜びは子孫にも残っていくんだという遠大な願いを持って信心をさせて頂きたい。
 目先のそのことがおかげを受けてはならんというのではない。お取り次ぎを頂いておかげを頂いては、そういう信心の真の喜び、真の信心を目指して、いよいよ信心をお育て頂きたいと思います。外側から合楽、合楽と合楽理念の勉強に来る人達は本気で構えを作って勉強に来ます。だから現在ご縁を頂いておるみなさん達が、もうとにかく合楽にご縁を頂いたことの不思議を思うてみなければいけません。
 そしてその不思議なご縁を生かしていかなければ相済まんと気ずかせて頂く所から、愈々合楽理念の実験実証者、言うなら合楽理念の行者、行者と言うと、大変苦しい事の様に、そうではない。それこそ「表行よりも心行をせよ」、家業をさせて頂きながら心を神様に向けさせていただく。それにはまず願わなければいけない。今朝から小竹の加藤さんの事を申しましたんですけれども、去年は「今を喜ぶ」というお届けが毎日あっておりました。今年は正月の福引きに「一日千回の喜び」というのを引き当てられました。
 毎朝それから日に千回喜ばなければならんというのではなくて、もう四六時中喜ばなければならん事だと思います。所がどうでしょうお店の上に現れてくる御ヒレイというものは、本当に目覚しいものがございます。だから今日も「一日千回の喜び」今を喜ばせて頂くどういう中にあっても、今を喜ぶという信心をひとつ頂こうという構えを作って、それを願わなければ行けません。そこから不思議な働きが起こってくる。所謂真の信心には真のおかげがついて参ります。そういう信心姿勢をひとつ作って頂きたいと思います。
   どうぞよろしくお願いします。